舞台「赤シャツ」考察

舞台&戯曲「赤シャツ」を考察してみました。

◯登場人物の人間性

登場人物が多いのに、一人一人のキャラクターが明確に掘り下げられていることが、この舞台の醍醐味の一つだろう。
「"親譲りの無鉄砲で、子供の頃から損ばかりしている"坊ちゃん」に対して、『親譲りの八方美人で子供の頃から苦労ばかりしている"赤シャツ"』が主人公であるこの戯曲。無鉄砲と八方美人、損と苦労はそれぞれ対義語ではないのだが、原作と戯曲の主人公の性格を比較する上で重要な表現となっている。


「赤シャツ」にはざっくり2種類の人間( ①馬鹿な人間(=男らしい=処世上の無知無自覚の所産) ②利己的な人間 )が描かれている。

①は自分の思ったことをそのまま口に出したり行動に移したりする人、またそのことによって起きる影響を全く考えない猪突猛進な人。②は言葉通り、自分の損得を軸に物事を決断する人。


登場人物は、下記のように分類されると思う。

①…古賀先生(うらなり)・山嵐・武右衛門・(坊ちゃん)・(ウラジーミル)・(甘木先生)

②…金太郎(かどやの番頭)・吉川先生(野だいこ)・マドンナ・福地記者・校長(狸)

③(①と②の間)…赤シャツ・小鈴・ウシ


面白いなあと思うのは、原作において利己的な人間と言うと赤シャツ(&野だ)なのだが、「赤シャツ」では他登場人物も含まれること。そしてトップオブ利己的人間であるはずの赤シャツ教頭がどっちつかずの人間(後述)として描かれ、「どっちつかず」の括りである小鈴&ウシとだけ本心で交流できていることだ。

①と②の間でもがいているのが赤シャツ。

限りなく②に近いが、完全に②ではないのが小鈴。ウシは①と②の間をフヨフヨ浮いているように、というより俗世と無関係な存在に思える。

小鈴とウシが、①にも②にも属さないからこそ、赤シャツは2人に心を開くことができたのだと思う。(①の人たちには赤シャツの本心が伝わらない(固定観念を持たれている)、②の人たちを赤シャツは辟易しており心を開くことはない)

 

 

繰り返しになるが、原作における利己的な人物と言えば、赤シャツ(&野だ)。でもその赤シャツは完全なる利己的な人物ではなかった。とすると、戯曲でのトップオブ利己的人間は誰なのか。②に分類した人物に、一人ずつフォーカスしていきたい。

金太郎…
原作において坊ちゃんが最初にお世話になった下宿の主人(いか銀)の兄。いか銀は、坊ちゃんに骨董品を売りつけようとして失敗し、最終的に坊ちゃんを追い出すとんでもない自己中野郎様。弟も弟なら兄も兄だなと…。弟が下宿人を斡旋してくれと言っている、とか、山嵐が教頭に払うつもりで置いておいたお金をそそくさと持って出て行ってしまう、とか、お代もらってしまってるんだからロシアのお座敷へ出なさいと小鈴に指示を出したりとか(連絡受けた段階で断るなり、最悪お代返せばいいじゃんっていう話)。利己的というより「ちゃっかり」イメージに近いのは、演じている役者さんの愛嬌ゆえか。

 

・野だいこ…
言わずもがな。権力に媚びへつらう人。嫌いな人間が追いつめられていることに何一つ疑問を感じない。2幕第2場(校長室)で、辞職するのは山嵐に決定、と言うのを廊下で盗み聞きして遠慮のないガッツポーズをしたり、マドンナも小鈴も教頭のものですね〜とニヤニヤしながら不倫を推奨したりする*1下品な男。の印象がとても強い彼だが、周りの人(主に赤シャツとウシ)を不快な気持ちにさせているだけで、彼が直接誰かの運命を決定づけるような手を下すことはしていない。(色んな噂話を広めているのは彼かもしれないが、少なくとも自己利益のために喋っているのではない。彼がする噂はただの娯楽)

 

・マドンナ…
言わずもがな。身分とお金で男を値踏みする人。周りから何と言われることになろうと気にしない点は、世間体を気にしすぎて雁字搦めになっている赤シャツと正反対か。大千穐楽では、うらなりが婚約破約の話をしている最中に、目だけ動かして赤シャツのことを見つめながら微笑んでいて、その強かさが怖かった。彼女が赤シャツとの仲を吹聴していたのは、マウントをとりたい or 赤シャツを他の人に取られたくない故 小さな街の中で半ば既成事実化させてしまえば彼も逃げられないという策略か。いずれにせよ、古賀&マドンナ破約のミューズの会で、赤シャツが自分の意思をハッキリ伝えていればここまでの噂を立てられることもなかったはずなのだが。

 

・福地記者…
自分優先、よりももっと広義的な意味での利己。(彼の信じる)社会への利益優先、の物差しで世界を見ている人。真実の所在よりも、(社会に一石を投じる)出来事を伝えることで彼自身のアイデンティティを保っているようにも見える。山嵐が言うところの「義」と正反対な意見を持つ人なので、彼らが憎み合うのも無理はないか…義の話だけでもブログ1つ書けそうなので割愛。現代のマスコミの在り方に疑問を持つ身としては、作中の新聞に関しても語りたいことがたくさんあるのだがそれもここでは割愛。

 

・校長…
校内で起きた問題を自分ゴトとして捉えていない印象。師範学校の生徒に喧嘩をふっかけた件で誰に責任を取らせるか、と言う話で『自分が辞めたいのは山々 』なんていうのは、もちろん "嘘も方便" 。赤シャツ教頭が「弟の監督すらできないのに教頭を続ける資格はない」と至極真当なことを申し出ると、『上の立場の者が辞めたら生徒が動揺する』『遠山家の代議士(マドンナの父)が困る』『県知事からも君の覚えは良く大切にするよう言われている、君の経歴に傷をつけるわけにはいかない、君が辞めたら自分の立場がない』。校長の本音は一番最後の一言に尽きるだろう、自己保身の塊なのだ。「武右衛門を陸軍幼年学校に入れる口利きをする」と賄賂的な取引を赤シャツに持ちかけるが、成績の悪い武右衛門を陸軍の将校候補を育成する学校なんぞに送り込むとは…中学校の名誉的な面を考えるとそれこそマズイはずなのだが。学校の名誉より、自分の名誉を優先した(山嵐を辞めさせることにほぼ躊躇がない)あたり、教育者として最低な人。


登場人物の中で誰よりも利己的なのは、校長だと思う。自分自身の名誉を守るために、他者の人生を狂いに狂わせるのは彼だけだ。

 

◯赤シャツの人間性

赤シャツも、上記の利己的人間と同じ行動をしているように見える。しかしそれは表面上であって、内心ではその行動を取るためにもがき苦しんでいた。上記の人物たちは、(少なくとも作中では)その行動を取ることに悩んでいるようには見えない。それが赤シャツとの違いであり、この「赤シャツ」という作品の骨格となっているように思う。赤シャツという人物が、時代の狭間で生き方を悩み、利己的人間として生きていくことを余儀なくされていることを自覚するまでの物語なのだ。

話が少し戻るが、世間体や自身の名誉を重んじる選択ばかりする赤シャツを利己的人間に分類しなかったのは、観劇した/戯曲を読んだ方には分かるように、「根っからの利己的人間」では無いからだ。

前述の通り、武右衛門が山嵐と坊ちゃん先生を巻き込んだ喧嘩を画策した件の尻拭いも、赤シャツ自身で取ろうとしている。自分が弟を監督できていなかったのは事実であり、その責任を自分で取ろうとしている。彼が本当に自分のことを最優先にする人であれば、そのような申し出は(校長からほぼ確実に却下されることを見越していたとしても)しないだろう。

また、下女であるウシに対する態度。彼が言うところの「世間体」である見栄っ張り八方美人のイメージを壊したくないのであれば、ここ5年くらいの付き合いであるウシに対し、僕ちゃんどうしましょ!なんて姿を見せるはずがない。だが、「どうしよウシ〜僕どうしたら良い?」と、ウシの袖をユラユラさせながら甘えている。ということは、世間体が第一の人間ではないということだ。

野だいこが、ウシの名前を「女に珍獣の名を」と揶揄った際も、赤シャツはとても嫌そうな表情を浮かべていた。例え下女という立場であっても、彼にとってウシは大切な存在なのである。

身分の違いと言えば、彼が結婚相手に選ぼうとしている小鈴もそうだ。教頭という立場がある者が、芸者遊びをしているだけでも世間的には良くないと散々言ってはいるが、彼女を愛するのをやめようと苦悩したことは微塵もなさそうだった(僕は一生 妾なんて持たない という意向は、あの場で咄嗟に出たことではなく、長らく思っていたことだろう)。小鈴が、私のこと本当に奥さんにしてくれはるの?と尋ねた返事が「それがお前にとって本当に幸せかどうか…」であることから、自分の立場上の問題より、小鈴(下級)が自分(上級)に嫁ぐために周囲から何を言われるか分からないことの方を気にかけている。

言葉足らずで見栄っ張りな部分が表面に出てきてしまうが、それは頭が良すぎるが故に様々な面に対して配慮ができすぎたり、先見の明がありすぎるが故。優しすぎて、自分の意見を言うことができなくなってしまった人物。そしてそれに対してもがき苦しんでいるのが、赤シャツ。

赤シャツを演じた桐山照史さん自身、「赤シャツの話がどこまで本当で、どこまで嘘か分からない」と言っていたが、それでも私は、ウシや小鈴に「僕」という人格を見せた彼を本来の姿だと信じたい。

 

 

 

◯巨人引力

自分の思いと、上手く生きていくための処世術の間で、もがき苦しんでいる赤シャツが全てを諦めてしまう契機となるのが「巨人引力」である。

「巨人引力」は、マドンナとの婚約が破約になったうらなりが、「ちょっと面白いと思って」教頭たちが開催しているミューズの会で発表しようとした訳詩であり、この物語に意味深な様子で3度登場する。

1回目は上述の通り1幕1場のミューズの会、うらなりが発表する(結果的に発表し損ねる)。2回目は1幕3場(教頭の書斎)、赤シャツの部屋に招かれたうらなりが、先日は申し訳なかった 後でお目通しくださいと(遠くへ転任できると分かった段階で)原稿を赤シャツに手渡し、うらなりが去った後に赤シャツが全文を読み上げる。3回目は2幕2場(校長室)のラスト、校長が県知事に「校長と赤シャツのメンツを保つための弁解」をしに出掛けて行った直後、野だいこに呼びかける際に引用される。"生徒がボールを投げて遊んでいるが、必ず地面に落ちるのはなぜかわかるか、巨人引力が呼ぶから落ちるのだ"と。


巨人引力の詩を下記に引用した(カッコ内は、1幕3場(1幕ラスト)で赤シャツが読み上げる際の様子)。

(立ち上がっている。原稿用紙を広げ、紙の両端の真ん中あたりを持っている)巨人、引力。ケートは窓から外を眺める。 (両手を握りしめるので、原稿がぐしゃっとなる) 小児が球を投げて遊んで居る。彼等は高く球を空中に擲つ。球は上へ上へとのぼる。暫くすると落ちて来る。彼等は又球を高く擲つ。再び三度。擲つ度に球は落ちて来る。(はて?という表情&若干首を傾げて椅子へゆっくり座る) 何故落ちるのか、何故上へ上へと登らぬのかとケートが聞く。「巨人が地中に住む故に」と母が答へる。「彼は巨人引力である。彼は強い。彼は万物を己れの方へと引く。彼は家屋を地上に引く。引かねば飛んでしまう。小児も飛んでしまう。葉が落ちるのを見たろう。あれは巨人引力が呼ぶのである。木を落す事があろう。巨人引力が来いというからである。球が空にあがる。巨人引力は呼ぶ。呼ぶと…(うらなりが直前までいた方向に視線をやりながら) …落ちてくる


余談。巨人引力の原稿をぐしゃっとするタイミングが早すぎて、読み始めに何で拳を握ったのだろうかと考え込んでしまった。うらなりを延岡に追いやることになってしまったことに対する自責の念だろうか。

 

 

 

◯ウシ。と赤シャツ

ウシは開心術師だ。
誰にでも素直にモノを言う。嫌味ったらしくなく、真っ直ぐで、いわゆる「良い人」。でも、守るべきことはきちんと守る。本当の赤シャツは「ウシ〜僕どうしたらいい?」キャラだが、その面を武右衛門には隠したい赤シャツの気持ちも尊重してくれている。
そんなウシにだからこそ、八方美人で世間体第一の赤シャツも心を開いている。ウシは、彼の一人称が「僕」のときに、本心が語られることに気がついている。だから、小鈴が「先生がやけっぱちで『僕のお嫁さんになってください』って言った」と聞いて、それは本心じゃ〜!と確信を得たのだと思う。

余談。書斎にうらなりを呼び出した際、赤シャツはウシに「盗み聞きは無用だぜ…ッ」と割とカッコよく言って部屋から追い出したのに、うらなりが帰った直後に赤シャツ自らウシを自ら招き入れる形でクローゼットを開ける件。赤シャツ×ウシの信頼関係が分かるシーンでとても好きだった。

 

 

 

◯小鈴。と赤シャツ

小鈴は、意思の強い女性だ。
赤シャツや山嵐に対する「商売抜きで惚れちゃった」はリップサービスに近いものだと思われる。そんな商売っ気たっぷりな小鈴の兄の葬儀に、赤シャツは多額の香典を送る。赤シャツのビジネス無関係の優しさに触れ、赤シャツに本気で惚れたと思われる小鈴。(赤シャツのことなので、徴兵忌避したことに対する詫びの気持ちが大いにその額に含まれていると思うが。)   

本当に惚れているはずだからこそ、物語のラスト「先生はほんまに私を奥さんにしてくれはるの?」の真意が中々理解できなかった。赤シャツが直前まで話をしていた脈絡と噛み合わないからである。"当世流円滑紳士はいくらでも代わりがいる、だが山嵐のような真っ直ぐな馬鹿は50年100年先には滅びているかもしれない"と赤シャツが言った直後、小鈴は赤シャツに結婚の意思を確認する。この小鈴の言葉はどのような意図から発されたものだったのか。

 

2幕1場に遡る。赤シャツが"男らしいというのは、処世上の無知無自覚の所産"と言った時、小鈴は言葉の意味を理解できていなかった。それに即座に気が付いた赤シャツは、"馬鹿"と言い換える。小鈴と赤シャツの知力の差&赤シャツの察しの良さがよく表れているシーンである。このシーンから察するに、小鈴はもしかしなくても、赤シャツがどうしてここまで落ちて(堕ちて)いるのか本当の意味を理解することはできなかったのではないかと、私は考えてしまうのだ。

赤シャツの話を聞き流しているわけではないけれど、小鈴の中で赤シャツは「赤シャツは赤シャツ」であり、当世流円滑紳士としての赤シャツこ代わりがいようが いまいが 私にとっては関係ない、という気持ちが先行。「僕にはマドンナくらいが相応のところだ」という意味も誤解していそうな気もしてしまう(身分的に釣り合うのはマドンナくらいだという意味)。

それでも小鈴の中で優先されるのはあくまでも「自分の気持ち」。だから赤シャツの元に戻って来れた。「赤シャツの気持ちを確かめたい」という気持ちを持って彼に接したのは彼女だけだったから、赤シャツの気持ちは救われていると思いたい。 小鈴が戻ったのは若干利己的とも言えるけれど、相手や世間のことばかり考えて本音を言わないと いつまで経っても幸せになれない(相手の本音を聞き出せない)、と赤シャツに対して反面教師的な部分が描かれているのかなとも感じる。

 


余談。
小鈴のことをお妾さんになる人ですかと馬鹿にした武右衛門のことを詫びた赤シャツに対しても(後日、武右衛門本人に対しても)「ええんです気にしてまへん」と許せる小鈴…強すぎ優しすぎ…彼女の自己肯定感はどこから来てるの?人生の師匠になってくれはりません?

余談その2。
徴兵忌避をした赤シャツを軽蔑しなかった小鈴。芸者として生きている小鈴は、もしかしたら「男らしい強さ」をマイナスな意味で捉えていたのかも(無理矢理色々なことをさせられる的な)しれないなあと。そういう意味での(力の)強さと、赤シャツの言うところの男らしさ(まっすぐさ)は違うけれど。そんな小鈴にとっては、「男らしさ」よりも、兄そっくりの「優しさ」のほうが大切だった、だから赤シャツを選んだ。なんていう妄想。

余談その3。
赤シャツはいつでも小鈴に対して素直だった。 山嵐といるところに小鈴が来たとき、一番最初は「小鈴ゥウ♡」と両腕前に伸ばしながらお手振りして"会いたかった"を表現していた。
うらなりの送別会後に、赤シャツ家へやってきた野だいこと小鈴。赤シャツは「誰にも会いたくないから返してくれ」とウシに言ったにも関わらず、小鈴がいると分かると、大慌てで居住まいを正す(袴着用中。左袖を捲った状態で、左手で右袖を捲った部分を持ちながら、座布団を並べる。そして一家の大黒柱だと言わんとするような堂々とした表情・態度で正座。でも堅苦しすぎると思ったのか袴の上の羽織をアワアワしながら脱いで割と雑に畳む(赤シャツの中の人が器用だから、畳まれた羽織が雑にならない))。

この居住まいを正す→羽織を脱いで若干ゆるっとした状態、という流れ、赤シャツが小鈴に「肩肘張らない本当の自分で接したい」という気持ちでいることを暗に示した行動だと思った。惚れている相手なんて、一番カッコつけたい相手のはずなのに、胸元で結んであった羽織の紐を解いてまでゆるるっとしようとしてる赤シャツ…恋って良いですね。(2時間も着替えずに客間で泣いてたことを知られたくなかっただけ、の説もある)

 

◯武右衛門。と赤シャツ (とウシ)

強情、頑固、頭がアレ、、、、。

武右衛門が慕っている山嵐を学校から追いやる原因を作ったにも関わらず、そのことに対しては何も感じていなさそうな武右衛門。先を見通す力が無い、いやそんなことを気にしたことがなさそうなのが怖い。

あまり言及されていなそうだが…当直初日の坊ちゃん先生の布団にイナゴを入れた件(原作より)、「寄宿舎の友人達と、イナゴを食べる」なんて訳の分からないことを言って出て行った彼を誰も引き止めず放置した(兄さんと比べたら胃が丈夫だとかそういう問題ではない)、ウシ(と野だいこ)にも問題があると思う。この事件の際(学校側ではイナゴ事件を把握しているはず)に、武右衛門の問題行動およびその行動を起こしている根本的な原因に向き合っていれば、山嵐・坊ちゃん&師範学校の生徒を巻き込む喧嘩を防げたのではないのだろうか。

赤シャツが武右衛門に、うらなりを揶揄うことはやめろ、と叱ってはいたものの…まさか弟の考えがそこまで及ばないとは思ってもみなかっただろう。「僕を困らせるためにわざと(いたずらを)やってるとしか思えないよ」とも言っているが、実際のところはもっと深い部分なのではないか。武右衛門は無意識のうちに"構ってちゃん"になってしまっていたとは考えられないだろうか。

兄は、徴兵忌避者で国民の恥のはずなのに、とても優秀で、知力も地位もある。なぜ?弟の僕は何で勉強ができない?妾腹だから?お前の兄ちゃんは卑怯者だと言われるのも、兄ちゃんは教頭なのに比べて僕はダメだと思われているのももう嫌だ!僕はみんなから後ろ指を指されるような、女の腐ったような奴にはならない!みんな!僕を見てよ!!!!!(家庭内不和がありがちな子がいじめに走るようなそれ)(※妄想を大いに含んでいます)

ウシがもっと武右衛門の気持ちに踏み込んでいたら。赤シャツが、徴兵忌避をした理由・武右衛門のことが大切だからこそ戦争に行かせた無くて陸軍幼年学校への進学を否定しているんだともっと腹を割って話ができていたら。赤シャツと武右衛門が分かり合えずに仲違いして終わるENDが防げたのでは無いか……

 

余談。戦争で亡くなったウシの息子の話を聞いている武右衛門の表情は苦しそうだった。戦争の惨さ、残された家族の悲しさは理解できるのに、自分が出兵することに関しては無頓着だったように思う。兄のようになりたくない一心。兄から愛されていると感じられていなくて、母親もお妾さんで、自分が産まれた意味は何だったのかと(無意識に)思い悩んでいた可能性もあるのではないか。

 

 

山嵐たちにフルボッコにされた後、"マドンナのところに行った" のは本当か?

個人的に一番気になっているのがこの点だ。あのボロボロの状態で、遠山家へ出向いたとは到底考えづらいからだ。それまでの赤シャツの世間体を重んじる行動パターンを考えると、いや そんな赤シャツでなくとも、喧嘩後のボロッボロになった姿で「結婚してください」なんて言いに行かないだろう。物騒すぎ、悪印象…しかも早朝に押しかけるなんて非常識極まりない(しかも相手の父は代議士)。断られるか出直して来いと言われるのが関の山である。以下のパターンのどれが本当のところなのだろう。正解はマキノノゾミ先生のみぞ知る。

A.遠山家に行ったということ自体が嘘
じゃああの時間までどこで何してたの?という話になるがそれは別問題。マドンナに、夜の汽車に着いてくるなと言った際に、結婚もする気は無いと断っていた。
ボコられたあと、家に帰る途中でマドンナの母に道で偶然出会った。そこで「はる子が貴方のことを断ったのは見る目がありましたわね!そんな乱暴をなさる方にうちのはる子をやることにならなくて良かったですわ!今あの子は東京でお見合い〜」と聞かされ、さらに気がおかしくなり、明るく「ただいまー!」と帰宅した。
など考えられないだろうか。

B.遠山家には行ったが、プロポーズをしに行ったのではなく結婚を断りに行った(つもりが、はる子はそこにいなかった)
自分の運命に流されるように従うしかない、という思考になった後にこの行動を起こすとは考えづらいが…選択肢として0では無いので。俺はこんなズタボロにされるような男なんですよ、マドンナは貴女こういう弱い男、嫌でしょ?どう?恋着するのやめてくれる?

C.赤シャツが小鈴に話をした通り、プロポーズをしに行った(つもりが、はる子はそこにいなかった)
やけっぱちで頭がおかしくなっていて、相手から自分のズタボロの見た目がどう映ろうが関係なく、「これが運命であるのなら」と(運命に流されている自分に半ば酔って)遠山家へ行った。はる子は東京へ行ったことを聞かされ(以下略)、代議士からの評価や マドンナからの(地位にたいする)羨望すら失ったことを悟った彼は、今後どうしたらいいか考えることも嫌になり、頭がさらにおかしくなり「ただいまー!」と元気よく帰宅。

余談。彼の話をそのまま信じるのであれば、C.が事実となる。ただ、武右衛門・ウシ・小鈴の3人がいる前では、「遠山家は僕との結婚を喜んで受けてくれた」と、すぐにバレる嘘をついている。小鈴が戻って来なかったら、その嘘を誤魔化していくつもりだったのかを考えた。
…誤魔化すことはなく…死ぬつもりだったのではないだろうか、あの日のうちに。武右衛門との会話は、赤シャツ的には「最期の会話」にするつもりだったのではないだろうか。何かと理由をつけて誰かと2人になるよう相手を動かすのに長けている赤シャツである、ウシに薬箱取って来いと席を外させるくらい訳は無いだろう。
「600円程お前にやる、あとは一切構わない」「幼年学校に行けるように校長に便宜を図ってもらった」「単純や真率を見習ってもこれからの日本じゃ住みにくいだけだ、このことだけはよく覚えておけ」この話を、あのタイミングでする理由が見出せなくて考えていたが、この後すぐに事故にでも見せかけて死ぬつもりだったと考えると、納得がいく気がするのだが、いかがだろうか。

 

 

おまけ 赤シャツ とは

ブログの筋から逸れるので書ききれなかったことを少し
・野蛮なことが苦手→
    戦争に行きたくない→戦争に行かない分、後世の役に立ちたいと教育者を目指した?

・芸術を愛していた→
    文学はもちろん(ミューズの会で、赤シャツの本が一番ボロボロになっていたのは、昔から何度も読み返していることの証拠だと思う)、音楽も好んでいた。野だいこに「蓄音機買ったんですね、マドンナと愉しむんですね〜」と言われてすごく嫌そうな表情をした直後、蓄音機に向かってとても柔らかい笑顔を向けていて、この人は芸術全般を好んでいるのだと思った

・弟のことが何よりも好きだった、
    だからこそその愛する弟から事実上の絶縁状を突きつけられて自分の自信などを無くしてしまっている

*1:妾って意味ではこの時代普通だったのかもしれないが