\ここが凄かった!/ 泣くロミオと怒るジュリエット

3/15に大阪にて大千穐楽を迎えるはずだった「泣くロミオと怒るジュリエット」

本当に良い舞台でした。これを観ることができなかった人がたくさんいることが悲しい…ので、ここが凄かったと、個人的に感じた部分を考察を交えつつ列挙してみようと思います。未観劇の方にも、少しでもこの舞台の魅力・「良い」と言われている所以が伝われば嬉しいです。

 

と書き始めたのですが、大変な長文になってしまいましたので、お時間の許す方だけお付き合いください…なお、中の人はウエストサイドストーリーは高校生のときに1回授業で観たのみで記憶ほぼ無し、ロミジュリ原作を観劇前に1回読んだだけのため知識不足があっても多めに見ていただけますと幸いです。

 

ネタバレありまくりです。いつかの再演までネタバレされたくない方はここでバックをお願いします。

 

 

 

鄭義信監督の大胆翻案が凄かった!

何を差し置いても、これが一番のポイントかと。

ほんま天才やで、、。笑って泣いて笑って泣いて、悲しすぎるシーンでも笑わせられて、感情がジェットコースターに乗せられているあの感覚はなかなかない。

 

シェイクスピア作のロミジュリと、ロミジュリを元に作られたウエストサイドストーリーを元に作られた新しいロミオとジュリエット

 

を具体的に言い換えると

派閥違いの恋→人種違いの恋へ、 WWⅡ終戦5年後の関西の港町が舞台へ設定を変更しているにも関わらず、全てがピタっとハマるように作り上げられた物語

 

各キャラクターに与えられているバックストーリーがしっかりしているのも、物語がより魅力的となるエッセンスになっていました。

 

そしてそれ故、それぞれが自分の信じる道をまっすぐに歩んで行く姿に入り込むことができ、それぞれの結末が悲しすぎることにも涙できるのだと思います。あなたもあなたも悪くない、悪いのは時代…約一名本当にどうしようもないクソもいますが、それもまた人間社会の縮図なのかもしれません。

 

 

<モンタギュー側>…三国人のチンピラ(愚連隊)

ロミオ桐山照史
:容姿端麗*1、吃音症がコンプレックス。屋台店主・元愚連隊のトップ(ダンスするとブイブイ言わせていた名残でキラキラし始めるとんでもない男(無自覚なのでタチが悪い))。女に免疫が無いらしい。純粋無垢でよく泣く。

マキューシオ元木聖也
:ロミオの親友1人目。喧嘩っ早くてお調子者だけど、とても仲間想い。恐らく上流社会への憧れが強い。

ベンヴォーリオ(橋本淳)
:ロミオの親族兼友人ではなく、ただの親友(親友2人目)かつ「ロミオのことが好き」*2

ローレンス段田安則
:原作ではロミジュリを助けてくれる修道僧だが、本作では漢方医。ロミオが開いている屋台はこの病院の目の前でローレンスは「ロミオの親代わり」。戦時中は自警団?の一員としてカラス(後述)の元、母国からするとスパイ活動をしていた。

 

<キャピュレット側>…日本人のやくざ

ジュリエット柄本時生
:散々男に貢いで泣かされてきた女。男に惚れやすい…のは、不細工なことがコンプレックスで、他に自分のことを好きと言ってくれる人なんていないと思ってしまうから故。常に希望を見つけようとするポジティブさが魅力。
自分の意見をハッキリ言うタイプなので、怒ってるように捉えられがち。個人的に彼女はあまり怒ってはないと思う*3。本作の冒頭で、田舎からヴェローナ(本作の舞台)に移住してきた設定が語られる。呼び寄せたのは兄ティボルトです。

ティボルト高橋努
:原作ではジュリエット母の甥だが、本作ではジュリエットの兄として据えられる。
戦前は優しくて真面目な男だったが、戦地で左脚を無くし、戦後帰還してからはまるで別人。誰彼構わず怒鳴り散らし、昼間から酒を飲みプラプラし、やくざのロベルトに心酔している。なおそのやくざが悪いことしているという意識は無いらしい。妹をヴェローナに呼び寄せて彼女が終電で到着したにも関わらず、急用が出来たと言って迎えに来ないようなタイプになってしまっている。

ソフィア八嶋智人
:原作ではジュリエットの乳母役だが、本作ではティボルトの内縁の妻。乳母はおバカ扱いされていたが、ソフィアは愛情深くマシンガントークで場を圧倒。生まれつき声がでかい。動きもでかい。体幹が良い。本当にそこらにいる関西のオバチャン。

 

<警察(キャピュレット側)>…原作には登場しない

カラス福田転球
:警部補。常に偉そう、警察なのに暴力しがち。ティボルトとジュリエットのおじさん。
アレが口癖。「アレがアレやからアレにしよ」は、「事件無し、報告事項無し、問題無し、私の管轄下で揉め事は一切なし」の隠語。実はティボルトからお金を貰っていていざこざを帳消しにしているし、彼の個人的な感情としては三国人が嫌い。三国人が自分の言うことを聞かないのはもっと嫌い。警察の立場としては、事あるごとに「豚箱に叩き込むぞ」と両陣営に警告している。

スズメみのすけ
:巡査。カラスとバディ。最近ヴェローナに異動してきた。
アレがアレしてを「アレばっかりで分かりません!」って言えてしまうタイプではある。カラスが暴力に走ると止めに入ったり、悲鳴を上げたりする。自転車に乗りがち。歌がうまいし音楽が好き。おそらく本来は平和主義者で陽気な人。

 

<やくざ(キャピュレット側)>…原作には登場しない

ロベルト岡田義徳
:やくざの若頭。この人がトップってわけではなさそうだけど、組みたいなの作ってる。
戦争で左腕を無くしており、「同じく(左脚を無くして)苦労したティボルトとは話が合う」など言っていたが、ティボルトが亡くなると人が変わったように貸してた金返せとタカリにくる最低な奴。
「これから(のやくざのやり方)は、シュマートに!」が決め台詞だった。なにそれ。なにそれ。なにそれ。気分が良くなると「かもめの水兵さん」を歌い出す。なにそれ。なにそれ。なにそれ。キャバレーのみかじめ・麻薬の密売・売春のかすり・ゆすり・たかり・恐喝・傷害などなど刑務所案件多数(ソフィア談だが、キャピュレットの人間もざわついていたので心当たりありまくるらしい)。

 

 

 原作の「?」な部分をそれぞれの心の動きをもって明確に表現している

(押し付けたくはないけれど)原作を読んだ多くの方は、疑問に感じるようなところがいくつかあったと思うんです。それを故に、悲劇ではなく喜劇だと言われている側面もあるようで。(そりゃそうだ、出会って5日で二人とも死んじゃうんだもん)。その点を納得がいくように整理し直して、「綺麗なロミオとジュリエットの恋愛があった末の悲劇」という結末をくれたのが本作だったと思います。

 

<そもそもロミオとジュリエットが恋に落ちる件>

原作では一目惚れ。一目惚れも本当に一瞬電撃が走ったらしく気が付いたらお互い好き好き合戦で、落丁乱丁でもあったかと数ページ読み返してしまったくらい(実話)。何が理由でお互い好き合ったのか、本当に分かりづらいというか書かれていないんですよね。強いて言えば顔面にお互い惹かれてるのですが。

本作ではその「外面」を思い切り無くした状態から入ります。ロミオと出会う前のジュリエットに対して親戚のソフィアが「ブサイク」という言葉を投げかけたり、ロミオと出会った後は彼の親友2人が「まさかあの女(顔面)に惚れたか?」「まさか」という会話をしているので(このご時世でブスいじりはいかがなものかと思うけど、おそらく監督の意図としてはロミジュリ双方共に「外見に惹かれたのではない」ことを強調したかったのかと)、ジュリエットはいわゆる美しい部類ではない。2人が惹かれ合うのは、お互いに内面に惚れたから。

 

ロミオが過ごしていた全てが鉛色の街、ヴェローナ。ジュリエットに出会う直前のロミオは「俺らに明日はあるんか?」と未来への不安を親友(ベンヴォーリオ)に投げかけます。「なぁ、ベンヴォーリオ。お、お、お前頭がええから何でも知ってるやろ?お、お、お、俺らに明日はあるんか?ま、毎日毎日、い、今日生きていくことで精一杯や。あ、あ、あ明日のことなんか考えられへん。俺らの明日はどんな色してる?どんな形しとる?」

 

その不安を口にした夜、彼はジュリエットと出会います。吃音コンプの彼はジュリエットの前で最初口を開くことができません。「あんた無口やねぇ、もしかして喋れんの?」問いかけるジュリエットに、ロミオは「ち、ち、ち、違う!は、は、は、話すの苦手やねん、こんなやから」と答えます。するとジュリエットが即座に「どもりが恥ずかしいん?アホらし。あんたを笑う人がアホ、それを恥ずかしがるあんたもアホ」と一蹴し(そのまま兄ティボルトに対する愚痴を続けた流れで)「でもね、私この街でやり直そうと思ってるの。薄汚れてしまったけど、いまならまだ間に合うはず。真っ白なシーツみたいに戻れるはず」と自分の現状を語ります。

その“やり直せる”という言葉に反応するロミオ。

ロミオ「やり直せるのか?」
ジュリエット「やり直してみせる」
ロミオ「で、できるのか?」
ジュリエット「できる」
ロミオ「ほ、ほんまに?」
ジュリエット「でけるって言ったらでける!」
ロミオ「あ、あ、あ明日を信じとる?明日があると思うか?」
ジュリエット「突然何?」
ロミオ「聞きたい!ききき君が明日を信じとるかどうか、明日があると思っとるかどうか」
ジュリエット「信じとる。明日はきっとある。」
ロミオ「…俺にも、明日はある?」
ジュリエット「あんたにも明日はきっとある。私のお母さんは紡績工場で必死に働いて、女で一つで私と兄を育ててくれて。子どもに自分の一生を捧げたみたいな人だった。いっぱい苦労して苦労して、でもいつも言ってた。『希望はどこにでもあるんやで。あんたが見つけられへんだけ。希望はあんたの隣におるんやで。いつかて、あんたの傍におるんやで。そやから、希望を捨てたらあかんで。』

そして泣き出すロミオ。「こ、こ、この街で希望を見つけるのは、砂浜で見つけた指輪を見つけるよりも難しい」
何であんたが泣いてんの、とロミオの手を取るジュリエット。「あんたもきっと見つけられるわ」
手を取られたロミオ「あんたの手、がさがさしとる」
ジュリエット「朝から晩まで働いてるから、恥ずかしい」
ロミオ「俺の手ぇも、がさがさや」そして微笑んでジュリエットを見つめながら、「俺…希望を見つけた!」
ジュリエットはそこでまっすぐな瞳に見つめられて「やめてーーーー!そんな目で見つめんといて~~~~またアホになる~~~~」と叫びますが、時既に遅し、惚れちゃいました

 

という設定(説明長かった)

これだけ詳しく描いてくれると、お互い惹かれ合う理由、少なくともロミオがジュリエットに惚れた理由に納得。そのあとお互い自害しちゃうところまで行くかっていうのは置いておいて。

 

 

 

<ロミオがティボルトを殺してしまった件について>

原作では、自分の親友を殺されたことに逆上したロミオが自らの意思をもってティボルトを刺しに行きます。これが私には理解できませんでした。どんな状況下であったとしても、結婚するって決めた相手の親戚に刃向けます?そんな思慮分別ない人になったらダメだってわかるよね?しかも傷害どころじゃない、殺人。

 

その疑問に応えてくれた本作。作品中、登場人物は全員「ロミオが殺した」認識なのは間違いないのですが、きちんとそのシーンを観ていたら分かる。ロミオは殺していない。確かにナイフはティボルトに向けていましたが、自分で刺したのではなく“ティボルトがロミオの腕(ナイフを持っているほう)を掴んで自分に刺さるようにした”が正解。つまりティボルトの自殺として描写をしていました。これは良解釈。

 

ティボルトに自殺願望があったかと聞かれたら答えるのは難しいのですが、彼が語った過去を鑑みると自暴自棄になっていて、PTSDで夜もうなされ、生きているのが辛かったのは間違いないことが分かります。

 

本作でのティボルトは、戦時中に野戦病院でひどい心の傷を負ったことになっています。帰国後、それを内縁の妻であるソフィアにすら語らなかったのですが、ソフィアの懇願により重い口を開く運びになりました。 左脚を無くしたティボルトは、野戦病院で衛生兵としての任務を全うしていました。病院とは名ばかりで、ケガを負った兵が死ぬのを待つような場所だったと彼は語ります。そして部隊が移動することとなったとき、自力で動けない者を殺せと命が下りました。ティボルトの上司はそれを拒否しましたが、上官に「馬鹿者!味方に殺されるのはお国のためであって本望だ!やれ!」と脅され、承諾してしまったそう。そしてティボルトもその命令に従わざるを得ませんでした。具体的には、元気になる注射だと言って血管に空気を送り込んだ。「やい衛生兵!注射とは嘘で、人殺しだ!」と騒ぐ兵士も次第に息絶えていく。

病院の中にはティボルトに懐いている小さな三国人の男の子がいました。その男の子は色が白く、両脚が無いが、明るかった。ティボルトに「ヒョン、ヒョン」と呼びかける。何て意味だ?と聞くと「兄さん」と。故郷の兄さんにティボルトがよく似ていたそうです。その男の子にも、ティボルトは注射をしなければなくなりました。男の子は、ティボルトを見てニッコリと笑い、じっと見つめながら腕を差し出してきたそうです。そしてティボルトはその腕に……

 

このことが元来優しかったティボルトの心を壊してしまったのです。そして戦後帰国し、愛するソフィアの元に戻っても幸せを感じられない、心境としては「戦争は終わっとらん」。

 

自分を慕ってくれていた三国人の男の子を殺してしまったことへの呵責と、殺すつもりはなかったのに殺してしまった三国人の若者 マキューシオ。三国人を2人も手にかけてしまったことに耐えきれなくなったティボルトは、目の前にあったナイフで自分を刺したのです。それがロミオを、自分の妹が愛する男を殺人犯にする形で巻き込んでしまうことまではきっと頭が回っていなかったのだと思います。

 

 

話が前後しますが、ティボルトがマキューシオを殺したのは、決闘の場でした。決闘が決まる前、ジュリエットはソフィアに「兄さんは死にたがってるのよ、姉さん。戦争で死にそこなったから、死に場所を探してるのよ」と言います。
かなりの期間離れて暮らしていたからなのか、兄に対する情すら感じられないジュリエットの言葉が悲しくもありますが、これが的を得ていたのでしょう。妹からそのように突き放されたのち、ソフィアの「あんたの苦しみ、ちょっとでも背負わせてくれへんの?」との言葉を受けて、先述した過去の辛い経験を語ります。
(あくまで私の解釈だと断りを入れておきますが)その告白に対するソフィアの言葉が、更にティボルトを死の淵においやってしまったのではないかと。ティボルトが話している途中に「もうやめて」、男の子に空気注射をしてしまったと泣き崩れた彼を膝で抱きかかえつつ「戦争は終わったんよ」「戦争も、盃も(翌日、ロベルトと兄弟の誓いを立てる予定でした)忘れて、1からやり直そう、ちゃんと籍入れて、がんばったらややこも授かるかもしらん!」。この未来への希望に溢れた言葉が、ティボルトにとって最後の引き金になってしまったのだと思いながら、2回目以降の観劇していました。

 

実際自分がソフィアの立場だったら、こう声をかけてしまうのは無理もないというか、この言葉しか出てこないと思うのです。 戦時中、待ちに待って、そして生きて帰ってきた愛する人。この人と幸せになりたいだけなのに、彼は性格が180度変わってしまった。自分にできることは辛かった記憶を全部忘れさせることしかない…

 

一方のティボルトはそんな気持ちになれない。なぜなら自分は殺人を犯してしまったから。

想像でしかありませんが、戦地で男の子を殺してしまうまで、愛するソフィアの元に帰ることだけを考え、辛い指令や任務に耐えていたと思うのです。その思いが人間としての矜持を保たせていたと思うのですが、それがプッツリ切れてしまったのかなと。きっとティボルトにはもっともっと前を向くための時間が必要だった。ソフィアにはもっと気持ちに寄り添ってほしかったのかなと。「全部忘れて」はティボルトが欲していた言葉と真逆だと私は感じました。ソフィアと生きていくのは無理だと思ってしまったんじゃないかな…

 

そうして絶望に追い込まれたティボルトは、決闘の場でキャピュレットの仲間から手渡されたナイフを、その仲間の「やっちまってくださいよ~!」という言葉に乗せられて、三国人であるマキューシオに向けて刺してしまいます。(刺した後、ハッと顔つきが変わるティボルトを演じられていた高橋努さんは本当に本当に凄い役者さんです…)何でだよ、起きろよとマキューシオを揺さぶるティボルトは、観ていて辛いものがありすぎました。

 

 

視点を少し変えます。ロミオはティボルトを(受動的に)ロミオを刺してしまった後、(原作通り)ジュリエットと一夜を過ごすのですが、翌朝ジュリエットは「あんたが兄さんを殺してしまったなんて信じられん。信じとうない。でも、それよりも私はあんたと離れんとならんことの方が辛い。ああなんて薄情な女。」と言います。薄情…とは思うけど、実際のところ兄が死にたがっていたのは分かっていたから、心のどこかで“これで良かった”と整理がついていそうな気もしました。それなら彼を受け入れることも、彼を愛し続けることも、彼女の中の気持ちとして両立させられるのではないかと。(あくまで一個人の感想ではありますが)そんな解釈までさせてくれたこの設定は最高ではないかと。

 

 

<ジュリエット服薬仮死の件が「上手く伝わらなかった」理由と、ロミオが自死用の毒を手に入れる経緯>

原作ではボヤっとしている“ジュリエットは仮死状態で目が覚めたらロミオと一緒に逃げる予定”と記された手紙が、ロミオの元に届かなかった件。ロミオのところに遣いは行くのに、手紙だけ届かないなんてどんな設定なんでしょうか。ちっとも説得力がありません。そりゃ陰謀説など出てくるわけです。そして毒薬を手に入れる件はもっとひどくて“貧乏薬屋に金ちらつかせたら毒薬出してくれるっしょ”のノリです。言ってみれば金持ちによる恐喝です。ジュリエットちゃん、こんな男のどこが良いんでしょうk(黙ります)。

 

それに対して、本作では「ベンヴォーリオがロミオに恋していた」から、と納得感のある理由付けがなされています。「見ているだけで幸せ」と、マキューシオに好きな人はいないのかと尋ねられた際、恋心を語ったベンヴォーリオ。台詞として相手はロミオである、と語られはしないのですが…。とにかく伝わらなかったのではなく、伝えなかった、のです。

 

幼い頃から積み重ねてきた自分たちの友情よりも、始まったばかりの恋を選んだロミオに対する怒りと呆れ、ジュリエットに対する嫉妬など、複雑な心理状況に置かれたベンヴォーリオ。その彼がジュリエット仮死計画を知ったこと・ロミオへの恋心を知らないローレンス。

ローレンスは当初「ベンヴォーリオは胸に一物あって何を考えているか分からん、ロミオが友情を切り結ぶに値せん」と彼のことを評していたのですが、そんなことはすっかり忘れてしまったようで、完全にベンヴォーリオのことを信じ切っていたのが運の尽き…。ローレンスは、ジュリエット仮死計画について記した手紙を、ベンヴォーリオに託します。そしてその直後、ローレンスが目を離した隙に、ローレンスのカバンから毒薬を見つけ、持ち出してしまいます。*4

手に入れた毒と手紙を持ち、遠くの街に逃げていたロミオの元へ行くベンヴォーリオ*5。そして、ロミオに真実ではなく「ジュリエットが死んだ」とだけ伝えます。嘘だ、と泣き崩れるロミオ。

ロミオ逃避行の前、ロミオがティボルトを殺してしまった夜、マキューシオのために泣くのではなくジュリエットと一夜を過ごしたことに対し、ベンヴォーリオはショックという言葉では片づけられないほどの衝撃を受けていました。そのことをロミオは知っていたはずなのに…「罰が当たったんかぁ、答えてくれよベンヴォーリオぉ…ジュリエットと幸せになりたくて、マキューシオが死んだことも、ティボルトを殺したことも忘れて、お前のことも忘れて、ジュリエットと生きること夢見て、ここで嬉しい便りを待っとった。恥知らずで情け知らずな俺に罰があたったんか?」と語りだすロミオ。そして、ほんのおとついのことや、とジュリエットの身体への愛を語りだす。そして、ジュリエットが寂しがってるから行かないと・ジュリエットのいない世界には未練はない、明日もないと言い切ります。今戻ったら殺される、とベンヴォーリオも必死に止めますが、聞く耳を持たないロミオ。

ベンヴォーリオもついに、「自分のために用意しとったが、お前が死にたいならお前にやる」とローレンスからくすねてきた毒薬をロミオに差し出します。そしてその毒薬を迷いもなく受け取るロミオ。そして2人の永遠の別れ。

 

ロミオが去った後、繰り広げられるベンヴォーリオの独白。 ロミオのやつ、迷いなく毒を受け取ったなぁ、あの毒は俺が死ぬためやなくて、俺がお前を殺そうとして用意したもんや。全て承知の上で受け取ったんか?きっとそうやな…。馬鹿なロミオ、俺やマキューシオに今更義理立てしようって言うのか!俺は死んだりせん、マキューシオが死んでもロミオが死んでも、この国の片隅でしぶとう生き抜いて、お前ら2人の冥福祈りながら、この国がどうなっていくのか見届けてやるんや。独白終盤でローレンスの手紙に火をつけ、手紙が燃え切る寸前ででバケツに突っ込む。

 

 

 

<ジュリエット仮死姿を目の前にしたロミオの行動>

原作では、綺麗なジュリエットがどう、など(一緒に葬られている人たちに悪態をつくなど)ワー!と言ってワー!と死ぬロミオ。いや、確かに、人が来るから早くしなないとお話が進展しないので仕方ないのですが。

 

本作。ロミオは「殺されても構わん、ジュリエットと添い寝するんや」と親友の元を飛び出していることもあり、なんと、ロミオのロミオによるロミジュリのための結婚式が執り行われます。目の前に横たわるジュリエットに向けてロミオが優しく語りかけます。

 

「誰も俺たちのこと祝うてくれへんかったなぁ、喜んでくれんかったなぁ、2人が愛し合うだけで、周りを傷つけて苦しめて悲しませて怒らせて、終いには喧嘩別れや。みんなに祝われたかったのになぁ。なんでこの世には祝われる愛と、祝われへん愛があるんや。キャピュレットとモンタギューやろうが、金持ちと貧乏やろうが、国、人種が違おうが、男と男、女と女やろうが、みんな祝われなあかんやろ…

誰も祝うてくれへんから、俺が代わりに祝うたる!

『ご結婚、おめでとうございますぅ!心より、お祝い申しあげますぅ!ちょっと気ぃ強いけど、素敵なお嫁さんですね。尻にしかれそうですね。でも、それもまた、幸せですね。どうぞ、末永く、2人で、いついつまでも、お幸せに!おめでとう!おめでとう!おめでとう!』 それでは、新郎から新婦に、祝福の、、キスを」

横たわるジュリエットに口づけし、毒を飲む。ジュリエットの横でのたうちまわりなから、最期の最期まで、ジュリエットに近づこうと必死に手を伸ばし、体を動かしながら、「愛しとる、死んでも愛しとる」と息を引き取ります。

 

 

祝われない愛があってはいけない。身分、国や人種、性別といった壁によって愛を阻まれてはならない。ロミオとジュリエットが純愛物語として愛され続けてきた普遍的な根幹部分を、しっかりと現代に通ずるメッセージとして鮮烈に印象に残していくこのシーン。ロミオの、ジュリエットに対する愛が痛いほど伝わってきました。

 

 

キャスティングが神

びっくりするくらい長くなってしまっているので、以降できるだけ短くします。(ここまで読んでくださっている方がいるとしたら、ありがとうございます既に1万字超えております)

 

桐山照史さんを吃音ロミオに仕立てようとした思い切りの良さ>

良くしゃべる、良く笑うというイメージが強いと思われる彼を、本作の主役に抜擢してくださったこと。吃音持ちというイメージとは真逆をいくコンプレックスを持った役にしようと、決断してくださったこと。簡単な言葉になってしまいますが、照史くんのことを信じていないとできない設定だと思いました。

恐らく、ですが、前回の舞台(黒柳徹子さん主演の「ライオンのあとで」)を観てくださったか、劇評を見てくださったかのオファーかと思っています。ライオン~で演じていたデヌーセ少佐という役は、戦争で頭部に傷を負い、脳の機能障害を抱え、吃音とは違う次元で言葉を発することが困難な役でした。あれを見て、桐山ならできると思っていただけたのかなと。仕事を全部次の仕事に繋げる桐山さんさすがです…(本人も次に繋がって初めて結果を出せたことになるって言っているので、かっこいいでしかないです)

 

桐山照史さんの吃音の使いこなし方がずるい>

私自身の周りで吃音の方がいらっしゃらないので、これが正解なのか自信はないのですが、言葉に詰まるときと、すらすら出てくるときの差がありました。自分に自信がないとき・言葉を選びながら話をしているときは詰まりが大きく、逆に自分の強い意思をもって言葉を発するときは詰まりが無いんです。例えば、ジュリエットに希望はあると思うか「聞きたい!」。セルフ結婚式の場面も吃音が出ません。

 

<偶然ですが、公演中に新郎になる柄本時生さんを、新婦にしてしまう>

ジュリエット役の時生さん、この舞台期間中にご結婚されました。おめでとうございます! 後述しますが、ラストシーンではロミジュリ2人の結婚式が執り行われます。セルフ結婚式とは別です。ロミオは白タキシード・ジュリエットは純白のウェディングドレスです。

新郎であるはずの時生さんが新婦なのです。しかも時生さんがドレス着ちゃうんです。凄い矛盾。時生さんの奥様に、お気持ちを伺ってみたい欲が出てしまします。笑

 

八嶋智人さんは本当にオバチャンだった>

ベスト演者賞。女性にしか見えない。外見の部分ももちろんですが、ティボルトに対する愛・周囲への愛情深さなどから“良い女”が滲み出ていました。ああ八嶋さん、どうしてあなたは男性なの…

また、本作の笑って泣いて、泣いて笑っての笑いの部分の大半を八嶋さん演じるソフィアが担っていました。八嶋さんの力あってこそのこの作品です。間違いありません。

 

<熱量が半端ない>

オールメール作品だからというのもあるかと思いますが、とにかく、とにかく、舞台上から発されている圧が半端ではありません。カンパニーが一丸となって作り上げてきたあの空気感、命を削って板の上に立たれていることが驚くほどに伝わってきました。

公式から円盤化予定はないとのお達しがありましたが、あの熱量は確かに生で感じ取ってもらいたいものなので、やはりぜひとも再演を…してください…お願いします……

 

 

物語内でひっそりと行われている対立(比較?)構造が美しい

・他記事(2/14観劇日誌参照)でも言及しているのですが、戦時を生身で戦った人間の戦後の生き方の対比

・ロミオ-ジュリエット、ティボルト-ソフィア、ロミオ-ベンヴォーリオ、それぞれの愛の成り立ちが全く違うこと

きちんと書いたらキリがないので割愛しますが、高校生の現代文の問題で出せるとしたら、回答冊子でとても綺麗な対比として解説がなされていると思うのです(例えが下手で申し訳ないです)…活字でも読みたいくらい美しい物語。

 

 

この作品で世の中に訴えようとしていたうちの1つのメッセージが、奇しくも現実世界の問題とリンクしてしまった

ロミジュリ双方自害の後、関東大震災の際に在日韓国人に対して、日本人が行ってしまった迫害を彷彿させるシーンが“あえて”この作品に盛り込まれています。具体的には“地震により人々が不安になり、全て誰かのせい=三国人のせいとしてデマを広げ、三国人を大虐殺”を指していると推測されます。

原作では、「ロミオとジュリエットのことを教訓にしてみんな仲良くな」という言葉に全員納得して大団円となりますが、現実世界はそんなうまくいくはずがない。いがみあっていたもの同士が急に仲良くなんてできるはずがない。それが集団同士の場合は尚更。

 

あえて、言葉にしますが、本作が残念ながら途中で幕を下ろさざるを得なかった「新型コロナウイルスに纏わるデマ」そのものです。何年何十年経っても、人間の本質は変わらない、変えられないのか?変えようとする人間がいたとしても(ローレンス)、その人だけの力ではどうにもならない、少数派の意見はかき消される。

そんなメッセージも込めた舞台だったからこそ、この時期だったからこそ、カンパニーの皆様はこの舞台の幕を下ろすことは 舞台の内容に対する矛盾だと感じていたのではないかと、苦しかったのではないかと勝手に解釈をしております…

 

 

最後に用意されている、救いの世界

地震も火事も全てモンタギュー(三国人)のせいだ~!とキャピュレットが吹聴し、お互いを暴力で押さえつけようとした結果、ソフィアとベンヴォーリオ以外の人間は全員亡くなっていきます。生きている2人は黒い喪服。降り注ぐ血の雨。そのど真ん中に登場してくる、真っ白なロミオとジュリエット。先ほども少し触れましたが、天国での結婚式です。2人の後ろにはマキューシオとティボルト。この2人の衣装も白。手には籠いっぱいの赤い花びら、その花びらを、誓いのキスをしているロミジュリに向けてフラワーシャワー。

 

黒→喪服・全てが鉛色の街・火事による煙・夜の色
白→ロミジュリ・マキューシオとティボルトの衣装・墓場におかれていたユリ(?)の花
赤→流れた血・炎・フラワーシャワー

 

この3色が言葉にならないほど不気味で、でもとても美しくて。特に秀逸なのが、墓場の白い花・血の雨を表している紙吹雪が、ロミジュリの祝福の花となる点。うまいことしてやられた感。あのシーンのためなら何回でもこの舞台を観られると思いました。あんなに綺麗な黒と白と赤は、他の何に代えても観られないと言い切れる自信があります。

 

また、カーテンコールでは警察の2人と喪服の2人以外が全員白い衣装になって出てきて、ロミオが集まって~って言って、記念撮影(をするフリ)をするんですね。ここがね、もう「全員生きてるうちにやって!」と涙してしまう作りになっています。素敵すぎる…

 

おまけ:ベンヴォーリオの恋の相手がロミオだと私が断定している理由

ベンヴォーリオが恋心を抱いていた相手がロミオではなくマキューシオだ、という意見もちらほら見かけるのですが、そう思わない理由を挙げておこうと思います。マキューシオ派の方の意見もお聞きしたいです。明言されないことによって解釈が大きく異なるのも、この舞台の魅力かと思っています。

 

ダンスホールでティボルトが暴れるシーンで、ジュリエットの前面に出て守ろうとしたロミオに対するベンヴォーリオの表情(…え?ロミオ?なんでその女を…?と見えました) ・マキューシオとティボルトの決闘を止めようとしに行くロミオに対するベンヴォーリオの声が明らかに女性を意識している声の高さ「オレモイクゥ!」ふざける場面ではないので、乙女感を出しているのかなと ・もしマキューシオのことが好きだったとしたら、“ティボルトの亡骸から離れろ捕まるぞ”とか、“ジュリエットのところに戻ろうとするロミオに対してあんなに大泣きしながら「戻ったら殺されるぞ」”とか、“俺は2人の冥福を祈りながら生きる”とか言わない。マキューシオのこと殺した人の冥福を祈れるってことは…だと思っています。

 

 

 

 

*1:異論は認めない 笑

*2:マキューシオのことが好き説もありますが、相手がロミオだと確信できるような場面がいくつかあったので後述します

*3:本気でキレたの、最後にロミオが毒薬残してくれてなかったところくらいじゃないかな

*4:毒がなくなったことに最後まで気が付かないローレンス先生については、、触れないでおきます。気が付かないくらい先生もいっぱいいっぱいだったのだ、と思いたい

*5:ロミオの居場所、よくすぐ分かったよね、ということにも触れないでおきます